鰻屋の麻生「野田岩」の経営原則は、人を育てること

鰻屋の野田岩の五代目

「これは良い本だ」と言いましょう。

野田岩というと、関東では超有名な鰻屋です。「東の横綱が野田岩で、西の横綱が尾花」という人も多いです。

その野田岩ですが、五代目の主人から一風変わった経営手法や焼き方を採用しています。

いや、同じような経営者仲間が集まって意見交換して頑張っているためなので、むしろ健全な先進企業に近いと言えるでしょうか。

野田屋調理師紹介所に頼ることなく新卒から職人教育しているとか、企業人から見ると大変参考になります。

第二次世界大戦にも少し触れ、朝八時の出前話とか、目から鱗が飛び出る話ばかりです。

今回はそんな生涯や経営理念を語っている、自伝「生涯うなぎ職人」を紹介させて頂くことにします。

野田岩とは

私も先週食べて来ましたけど、野田岩は複数店舗を構える鰻屋です。

麻生野田岩が本店で、五代目がし切っています。最近できた銀座店は、六代目がやっています。

私が行ったのは、五代目の弟さんが暖簾分けされた横浜野田岩です。箸袋には、「麻生野田岩」が印刷され、裏面は横浜本店、横浜高島屋店などの電話番号が記載されていました。

私が中入り丼を頂いたのは横浜高島屋店ですが、注文から丼の到着まで10分でした。野田岩では1時間近く蒸すのだそうで、注文後に最後の焼き上げる部分だけをやっているのでしょう。

このやり方だと、デパートにやって来る大勢の客を相手にすることが出来ます。味や価格に妥協はしないけれども、出来るだけ多くの庶民を楽しませることをモットーにしている野田岩らしいです。

ちなみに野田岩の創業は、今から200年以上前とのことです。最初は当時から存在した野田屋調理師紹介所に所属して、派遣先で修行したのだそうです。そして後になって、野田岩を創業したのだそうです。

ま、歴史で野田岩に肩を並べるお店は多いです。ただし多くは、「うなぎ職人の集まった店」です。

野田岩は社会人になったばかりの若者を採用し、ゼロから職人やスタッフを育成しています。一方で私がお世話になる鰻屋さんは個人経営か、野田屋調理師紹介所から派遣された職人さんを雇っているお店ばかりです。

おまけに野田岩はふわふわトロトロな一方で、タレ控えめな鰻重や鰻丼を提供しています。そしてこれにより、うなぎの味が表に出ています。

このところ幾つかの鰻屋さんを訪問しましたけど、どこも「優秀な個人プレーヤーの集まり」でした。しかし横浜野田岩だけはチームプレイ重視型で、ちょっと個性が見えないけれども安定したサービスといった感じでした。

スポーツの試合だったら、さぞやりにくい相手でしょう。

五代目の経験

野田岩を独特なチーム型組織に作り上げたのが、五代目の金本金次郎氏です。本書は彼の自伝ですけど、目玉が飛び出るような話が散りばめられています。

まず金本さんは、朝八時の出前を連続10日間も頂いたことがあったそうです。それも冬で、雪が降った日もあったとのこと。遅刻なしで対応して評価されたという話にには、本当に頭が下がります。

そしてスゴいのは金本さんだけでなく、問屋さんたちも見事な腕前なのだそうです。見ただけで鰻の活きや重さを当てる腕前には、捌かないと分からないうなぎ職人には感嘆するばかりだったとのことです。

たしかにうなぎは大切です。横浜「しま村」は問屋さんが鰻屋を開いたパターンですが、うなぎでガッカリさせられたことがありません。プロたちの世界とは、本当に大したものです。

「仕入れ交渉は、自分たちの利益を確保しながらも、相手にちゃんと儲けさせることが大切です。」は、まるで私の会社で交わされる会話です。

そういった商売の基本を押さえつつ、醤油、味醂、うなぎの三者を相手に、炭火を使って調理する職人芸に取り組みます。あと野田岩の場合、なんと蒸すのに一時間近くをかけるのだそうです。

天然うなぎにも拘ったそうです。しま村も看板に「天然うなぎ」」とありましたが、野田岩の箸袋にも「天然うなぎ」と文字が書かれています。関係者にとっては、大いに拘るところでしょう。

天然うなぎは調理が大変だけれども、それでも養殖物は今一つだから天然ものが良いとのこと。頭が下がります。

お客さんもすごいですね。慶応義塾長とか天皇陛下とか、「どこが庶民なんだろうか?」と、疑問に思うような方もいらっしゃいます。

ちなみにタレは上流階級からの注文時は、味醂五割を味醂六割に増やしたものを提供していたそうです。そういえば私の友人でも上流階級かはともかく、体を動かさない者がいます。彼や我が家の奥さまは、甘口のタレが大好きです。

妙に納得してしまいます。そうそう、このタレのノウハウは競合店から仕入れたそうです。そこは現在では存在しないとのことで、なかなか鰻屋さんも大変です。

それから銀座店を開店する時には、宣伝広告を一切やらなかったそうです。なんというか、職人の意地を見ているような感じです。

また意地といえば、92歳にしてオリンピック聖火ランナーなのだそうです。その元気さにも頭が下がります。

その他にもパリ店や、日本橋高島屋店の話も登場します。高島屋の方は背景が分かって興味深いです。

真空パックには自ら挑戦したそうですし、予想とは違った野田岩の姿には驚かされます。

(冒頭画像に二袋分あるように、我が家もお世話になっています。ちなみにタレは、店頭と同じタレを使っているのだそうです。売上は年間5憶円程度だとか)

あと公認会計士をやっている弟さんもいて、彼は客先で真空パックを振舞われたこともあるそうです。ご本人も「美味しい」と思って食べたそうで、思わず笑ってしまいます。

さらに真空パックというと、「うなぎが大量に余って困った業者から購入した」事件があったとのことです。別に真空パックのことを業者は知らずに野田岩ゆえに相談したけれども、野田岩としても大いに助かったことがあったそうです。

助け合いの精神を知る人として、大いに尊敬する次第です。

まとめ

以上が簡単に紹介しましたが、野田岩の五代目である金本兼次郎氏の経営理念や生涯です。

興味のある方は、ぜひ自伝を読むことをオススメしたいです。少なくとも私は、恐ろしく勉強になりました。

そういえば昨年、ちょうど麻生本店のある東京タワー近くへ出向く機会があったのでした。今としては、その時に場所を押さえてなかったことを悔やむばかりです。

さすがに都内へ車で出向ける腕前があれば良いですけれども、ちょっと自信がありません。

しばらくの間は、じっと辛抱といったところでしょうか。

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:よつばせい